犬や猫の血液検査の「基準値」は、全国共通のものではありません。検査会社・研究機関・犬種・猫種によっても異なり、本当の意味での基準値は「あなたの子の健康なときのデータ」からしか分かりません。
🩺 はじめに:数値が「正常」でも、本当に安心?
血液検査の結果を見て、「すべて正常範囲だから安心です」と言われたことはありませんか?
実はこの「正常範囲」──つまり基準値(Reference Interval)には、
ちょっとした“誤解”が含まれています。
犬や猫の世界では、全国共通の「正しい基準値」は存在しないんです。
📊 そもそも「基準値」ってどうやって決めるの?
基準値とは、本来 “健康と判断された集団”のデータを統計的に処理して求めた範囲 のことです。
多くの国際基準では「健康な動物のうち、中央95%が入る範囲」を基準値として定義します(95%信頼区間法)。
簡単に言えば──
健康な犬100頭のALTを測る
→ 値を低い順に並べる
→ 真ん中の95頭の範囲(2.5〜97.5%)が「基準値」
この「95%の範囲」から外れる子がいても、それだけで異常とは限りません。
あくまで「統計的に少数派」という意味なんです。
🔹 基準値 ≠ 健康/病気の線引き
基準値は「その集団の分布を示す統計データ」であって、「健康と異常の境界」ではありません。
🧬 犬猫の世界には“全国共通の基準値”がない理由
ヒトの臨床検査では、学会や厚生労働省が全国的に統一した標準値を策定しています。
しかし、犬や猫ではそうした中央集約的なデータベースが存在せず、
検査会社・大学・研究グループごとに独自の母集団を使って基準値を定めているのが現状です。
このため、同じ項目でも次のように違いが生じます。
| 要因 | 内容 |
|---|---|
| 🧪 検査会社ごとに異なる | 富士フイルムVETシステムズ、IDEXX、ランスなど、それぞれが自社データで設定 |
| 📚 書籍・研究ごとに異なる | 教科書や論文で掲載される範囲も研究対象や母集団が違う |
| ⚙️ 装置・試薬の違い | 同じALTでも装置メーカー・測定法で絶対値がズレる |
| 🐶🐱 種族・犬種・猫種・体格差 | 生理的な代謝・筋肉量・体重が異なり、平均値そのものが変わる |
つまり、
「どの集団から作られたか」によって基準値は変わるんです。
🐾 犬と猫では、数値の分布そのものが違う
いくつかの代表的な研究を見てみましょう。
▶ ALT(肝酵素)の例
- 犬:平均 35–100 U/L(母集団・機器により変動)
- 猫:平均 20–83 U/L(Kaneko JJ et al., Clinical Biochemistry of Domestic Animals, 6th Ed.)
犬では筋肉量・年齢によってALTが高めに出ることがあります。
一方、猫は軽度上昇でも肝疾患を示すことが多く、同じ「基準値内」でも意味が違うこともあります。
▶ クレアチニン(CRE)の例
- ビーグル犬:0.4–1.4 mg/dL(J Vet Med Sci, 2002)
- グレーハウンド:0.8–1.9 mg/dL(Vet Clin Pathol, 2010)
筋肉量の多いグレーハウンドでは、他犬種よりCREが高く出る傾向が報告されています。
つまり、「正常上限を超えても、その犬種では正常」ということがあるわけです。
▶ 猫種間の差
血清TP(総蛋白)は長毛種(メインクーンなど)がやや高く出る傾向が報告されています(Kaneko JJ, 2012)。
環境・体型・毛量なども代謝に影響するため、一律の基準を作るのは難しいのです。
🧠 つまり、数値が“基準値外”でも病気とは限らず、 “基準値内”でも必ずしも健康とは言い切れない ということです。
💡 では、どうやって「その子の健康」を判断すればいいの?
ここで大切になるのが、「個体基準値(Individual Reference Interval)」という考え方です。
犬や猫は、ヒトよりも個体差が大きく、
筋肉量、年齢、食事、季節、ストレス、生活環境などによって日々の数値が変化します。
だからこそ──
健康なときの検査データを“その子の基準値”として残しておくことが最も大切です。
年に1〜2回の健診を継続して記録していけば、
「いつもより少し高い」「今回は下がっている」といった“その子らしい傾向”が見えてきます。
🩺 健診は「今の健康を守る」だけでなく、
「未来の判断を助けるデータづくり」でもあるんです。
🧾 参考文献
- Kaneko JJ, Harvey JW, Bruss ML. Clinical Biochemistry of Domestic Animals, 6th Edition. Academic Press, 2008.
- Friedrichs KR, et al. ASVCP reference interval guidelines: determination of de novo reference intervals in veterinary species and other related topics. Vet Clin Pathol. 2012.
- Kawai K, et al. Determination of reference intervals for serum biochemical values in 100 healthy beagles. J Vet Med Sci. 2002.
- IRIS Board. IRIS guidelines for renal function assessment in dogs and cats. 2019.
- Kaneko JJ, 2012. Breed-related differences in serum biochemistry of cats.
🐕🦺 まとめ:あなたの子の「正常」は、あなたの子の中にしかない
犬や猫の基準値は“みんなの平均”。
でも、あなたの子にとっての本当の正常は“その子自身の健康データ”の中にあります。
健診を定期的に受けて、
数値の「上下」ではなく「変化のパターン」を見守っていきましょう。
健康なときこそ、健診のチャンス。
それが未来の医療につながる、いちばん確かなデータです。

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